5月という季節が、僕はあまり好きではない。

もう少し正確に言うと、ゴールデンウィークというものが好きではない。

 

なぜならば、過去のゴールデンウィークを振り返ってみたときに、ろくな過ごし方をした記憶がない。

 

ちなみに今年のゴールデンウィークは、今年こそは!と息巻き、オシャレに鎌倉でも散策するか、と夢想したものの、結果、鎌倉どころか最寄り駅に行くことすらなく、家でころころとしていた。成果物としては、漫画を30冊、小説やノンフィクション、エッセイの類を計10冊、DVDを5本観た。

 

唯一の外出としては、家の近所の公園でおこなわれていた少年野球を眺めたくらい。

それも、試合ではなく、練習風景。かつ、全員知らない子供。

 

ゴールデンウィーク、超つまらない、と毎日思っていた。

 

有閑の悪徳は多忙によって除かれることほど確かなことはない。

 

これは、古代ローマの政治家・哲学者であるセネカなる人物の言。正確な解釈はわからないが、暇があるとろくなことをしない、ということだと解釈をしている。至極名言だ。

 

湧き出んばかりのお金があればまた話は違うのだろうが、そうでないのであれば、暇というのはなんとも厄介だ。

 

当社にも新入社員が入社をしてきたが、この季節、新社会人の中には、いわゆる「5月病」になる人が少なくないのではないだろうか。

 

それまで、のほほんと昼過ぎに大学に行き、学食でぺちゃくちゃとだべり、気づいたら日が暮れ、夜になったら安い居酒屋に行く。

そんな気楽な生活を過ごしていた身から、急に規則正しい生活へと放り込まれ、忙しい日々を過ごす中で心を病んでしまう、ということだと思うのだが、なんとも贅沢な病だと思う

 

僕自身、新社会人になったときは大変だったし、心が沈むのも理解できるが、それでも、暇、に比べればマシだ。

 

セネカの言葉ではないが、それこそ、刺激を求めて悪徳を働きかねない。

「あぁ、気分が盛り上がんないなー」

「なんか楽しいことないかな」

「明日も仕事か・・・。いやになるなぁ」

 

この季節、電車内で、新社会人らしき男女が、そのような言葉を漏らすのをよく耳にする。

そんなとき、僕は思う。

 

ふっ、暇のおそろしさがまだわかってないんだな、と。

 

だから、僕は毎年、5月になると憂鬱になる。

ある意味、僕も「5月病」といえるだろう。