こんにちはKです。
さて、七月ですね。七月とえば、七夕ですね。
七夕といえば、短冊、願い事。
そして、願い事といえば、先日、6歳になる私の息子が「大人になったらサッカー選手になりたい」とつぶやいていました。

 

息子の願い事は大体3ヶ月単位で変わります。
僕の記憶している限りでは、ウルトラマンになりたいからはじまり、仮面ライダーゴーストになりたい→ジバニャンになりたい→ピカチュウになりたい→仮面ライダーエグゼイドになりたい→スーパーサイヤ人になりたい→仮面ライダービルドになりたい→サッカー選手になりたい、という流れを経ています。

 

ちなみに、基本的には応援したいので、息子が「○○になりたい」と言った際は「いいね、なれるよ」と応えるようにしていますが、いつだったか、「王様になりたい」と言われた時は薄ら笑いを浮かべることしかできませんでした。

 

さて、上記したように、コロコロと願いが変わる息子ですが(子供は大抵こんなもんだとは思いますが)、僕はこのことをポジティブに受け止めています。

なぜかというと、最近、一つのことに固執する、一つのことを追い求め続けるというのは、何だか不自然なことのように思えてきています。

僕は運命論者でなければ、スピリチュアルの類を妄信するものでもないですが、それでも、今までの人生を振り返ってみると、すべてのことを自分の意思で決めてきていたようでいて、実のところは、大きな流れにそって生きてきたように思います。

その時々で、成功と思ったこと、失敗と思ったこと、納得のいくこと、納得がいかないこと、嬉しかったこと、哀しかったこと、色々とあったわけですが、それらのことは大きな流れの中でちょっと右に行ったり左に行ったりした程度のもので、行き先や進行方向が変わるほどのものではなかったと感じています。

 

少し話は逸れますが、7月のこの時期、街中ではリクルートスーツ姿の学生さんをまだ見かけます。

そして、彼、彼女たちの姿を目にするたびに僕は思います。

今既に内定をもらっている会社があるのであればそこにすればいいし、どうしても行きたい会社や業界があるがために粘り強く就活を続けているのであれば、別にそこに固執する必要はないよ、と。

誤解してほしくないのは、妥協しろ、と言っているわけではありません。

ただ、20歳そこそこの選択や結果に正解・不正解はなく、あくまでもいち過程に過ぎない、ということを知ってもらいたいのです。

もっと言えば、すべての出来事が一つの流れに向かっていると捉えるのであれば、そこに失敗(停滞)という概念はなく、すべての事柄は成功(前進)と言えます。

だから、あれやこれやと難しく考えて無理矢理に流れに逆行しようとするのではなく、ぷかぷかと水面に浮かび、ゆらゆらと右に揺られたり、左に揺られたりすればいいのではないかと思うのです。

そうすれば、いつか、どこかにたどり着きます。
出発した当初とは違った場所だとしても、たどり着いた場所が、最善、最適なはずだから。

 

七月七日の七夕。
皆さんはどんな願いを短冊に託しますか?